徒然なるまま その2

 「虫眼とアニ眼」という養老孟司宮崎駿の対談集があって、その本の冒頭に宮崎が理想(妄想)の街のスケッチを描いている。街のデザインというのは、中世や封建時代であれば領主や王が戦略的あるいは商業的にかなった街並みを目指して線引き配置をした。そこに住む人たちは半ば強制的に住まわせられる訳で、必然的に統制のとれたものとなる。私たちの国だって江戸時代までは時の権力者が街のデザインを考えた。幕末のころに写真や古地図を見れば、非常に計画的で均整の取れた街並みが見られる。
 明治以降の日本は天皇という絶対君主は居たけれど、実権を握っていた元下級武士団は都市生活者としての経験に乏しく、近代国家としての都市の成立、役割にほとんど無知であったと言える。不幸なことに、現在に至るまでその弊害は取り除かれず、その無知無関心がほとんど国民性となってしまい、世界に冠たる“電柱都市国家”として蜘蛛の巣状の電線に囲まれた空と、看板、狭隘な道、無政府的な建築物のひしめき合う、そんな街で暮らすことに何の不思議も不満も感じないようになった。せっかく自分たちで街をデザインできる時代となったというのに、20年もすればバラックになる建売住宅にしがみつくだけで、“住環境”などという意識は欠落したままとなってしまった。
 宮崎の理想とする街のデザインは、彼のアニメの中に出てくるようなものだから、「トトロ」や「崖の上のポニョ」などを見た人ならすぐに想像がつく。高層ビル群や高速道路が縦横に走る街とは対極にある、人が、それも子供を(もちろん老人も)中心としたデザインされた街だ。高度経済成長ではなくスローライフを目指す街ともいえる。いまさらそんな与太話をしたって何の意味もないという人は多いと思うが、私を含め少数派であるけど高度経済成長だけが道ではないと考える者もいる。日本中でそんな街をポツポツと造れたら良いのだが・・・。八ヶ岳の西麓でそんな街のスケッチを考えたことがあった。
 「対談集」の中で養老孟司が「人工的なリンクの上で走りまわっているオリンピックなど糞くらえ・・」と言っている件がある。競技会場や開催費用にべら棒な金のかかるオリンピックなど百害あって一利なしと思うが、もっといろんな人たちがオリンピックにブーイングをあげても良いのだけれども、やはりこれも少数派だから大勢にはかなわない。“街も人もみな同じ”という「千と千尋の神隠し」のテーマソングのように思えてしまう。



なべてみな 景色は良きに 人のみぞおぞましき