いつかある日・・・

 この頃ではほとんど聞かれなくなった歌で、センチメンタルで自意識過剰な山の歌だ。詩はロジェ・デュプロというフランス人かな、忘れたけど、この人この詩を創ってその詩のように山で遭難死した。深田久弥が訳詞したものに曲がつけられて、かなりあちこちで歌われた。今この詩をみると、なんとも恥ずかしいようなナルシズムだなあと思うけど、若いころは結構気に入っていたしよく口ずさんでいた。
 山の歌、というのは大体からしてかなりナルシズムで甘ったるいものが多い。登山という汗臭い行為が、学生中心の自意識過剰な層から始まったことにその原因があるのだろうが、バンカラ風の歌もなくはないが、どうも“コソバイ”と今にしてみれば思える。「雪山賛歌」なども「愛しのクレメンタイン」の替え歌だけれども、その歌詞たるや思えば“馬鹿か!”と言えるような代物で、なんであんな歌を創ったんだろうと首をかしげてしまう。
 “若気の至り”という言葉がある。「若き時は 血気内に余り 心物に動きて 情欲多し」とも言い、どうも思い当たることばかりで、いまさら後悔したところで後の祭り、何の役にも立たないが、登山という“登ったら必ず降りる”自虐的行為に憑りつかれた青年(主に男)があの頃はまだかなり居て、新宿発23時55分の普通列車長野行きなどは、ほとんど山岳列車という状況であった。私もうす暗い地下通路に何時間も前から並び、列車の入線と同時に重いキスリングを担いで走るという、若気の至りとしか言いようのない行為に疑問を抱かなかった。
 いつかある日、幸いにも山で死ぬことは今のところ免れている。けれど60歳を過ぎて間もなく山で死んだ知人もいて、年寄りが何の酔狂で山なんぞに登るのかと思っていたあの頃、気がつけば自分がその“酔狂”から抜け出せずにいまだに山に登っているのだから、まったくなんと言うかである。いつかある日 山で死んだら それはそれで幸せな終わり方かも知れないと思ったりもするのだが・・・。

若気の至り