明日、また明日と・・・

「明日」と書いて「あした」と読みますね。「あす」、「みょうにち」あるいは「あくるひ」などとも言います。「明」は日(太陽)と月で出来ているのですからとにかく明るいのでしょう。「明日」は明るい日でもあるのです。
明日は明るいと言うのは、希望があるから、もしくは願望を表しているからで、となると今日は明るくない、もしくは暗いので明日こそ、明日になれば明るくなると言う、大変楽観的な考えにもとづいているのだと思います。「tomorrow」は分解すると「to-mor-row」
となるそうですが、どこにも「明るい」要素はありません。やはりモンスーン地帯に生きる私たちはお気楽に過ごしてきた証なのでしょうか。シェイクスピアによれば、明日明日と続くその先は“最後一瞬”にたどり着くしか道はなく、言ってみれば身も蓋もない話となるのです。同じ“島国”の住人であっても北の海の暗く垂れこめた雲の下に暮らした人々には、“明日はどうにかなる”と気楽に構えることなど考えられなかったのかも知れません。
沖縄の宜野湾市で行われた市長選挙は、現職で政権側の推薦した候補が当選しました。個々の市町村での「辺野古」は温度差があり、これも一つの民意であろうと思います。しかし、出口調査によれば当選した市長に投票した3割近い人が「辺野古移転反対」であったという調査結果もあります。「明日のことは明日考える」という決め台詞もあったことですし、モンスーンの住民らしく私は楽天的です。

果報は寝て待て、とも言うし・・・