戦争状態

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ヨーロッパはあちこちで銃撃戦が繰り広げられているか、もしくは繰り広げられようとしているかで、騒然とした状況が生まれているようです。フランスでは住宅街で市街戦まがいの打ち合いがされて、使用された銃弾は何と5000発と言われています。もうこれは戦争以外の何ものでもないと思える状況であったでしょう。
“「IS」のテロ”と言う括りで報道も政権も、批判もしくは対決姿勢を明確にしています。けれども以前からテロに対する報復として空爆をする、あるいは地上部隊を派遣して攻撃することが、“テロ”とどの程度の差異があるのか疑問視する意見もあり、また「戦争」での大量殺戮は当然とされるのに、“テロ”と呼べば非難の対象となる理由も判然としません。一般的な犯罪と“テロ”を単純に同一視することは、ある意味では問題解決を曖昧にする、もしくは難しくしてしまうことにならないでしょうか。もちろん無差別に一般市民を対象とする殺戮行為は決して許されるものではなく、市街地や公共の場での自爆行為に正当性は見出せません。
しかし「IS」やアルカイダなどイスラム原理主義を標榜する組織のひきおこす暴力行為は、中東という地域が経てきた歴史的背景の中にその多くの原因を求めることが出来ると思われ、彼らにとってみればテロ呼ばわりはキリスト教社会の“レッテル張り”、欧米的価値観の押し付けであり“勝手な言い分”として捉えられているとも言えます。多くの場合ものごとには二面性があり、立ち位置によって解釈も感じ方も異なります。そういった背景を無視して“テロ=犯罪”という単純な括りのみに終始する論調は、問題の本質の明確化と解決を先送りにすることではないかと思えるのです。
アフリカで繰り返される大量殺戮や「ボコハラム」の残虐行為に対する欧米社会の反応は、今回のパリでの事件とは明らかに違っているように感じられます。私たちの反応もパリのそれと比べれば醒めたものとなっています。花束やお供え物の山が出来る訳でもなく、通り一辺倒のニュースが流れてお終いとなります。紛争、戦争につきものの出来事としか思えないのでしょう。この辺りのずれというか、捉え方の相違が私は気になっています。「先進国」と「後進国」との戦争状態のようにも思えるのです。