集団志向

一昨日の土曜日は去年に引き続き渋谷の街が火葬大会ではなく仮想でもなく下層じゃないなあ、仮装かあ、そうだ仮装大会となったようです。ハロウィーンという西洋の感謝祭にちなんだというか悪乗りしたというか、仮装の集団が繰り出し深夜まで大騒ぎであったようです。
ここ数年とみにこの西洋感謝祭が流行っていまして、バレンタインデーを凌ぐ稼ぎがあるというので企業も悪乗りして煽っています。アメリカでは仮装にまぎれて本物の銃乱射があり、本物の血が流れるという事態まで起きているようですが、もともとは収穫に感謝して子供たちにキャンディーやお菓子を配るというささやかなお祭りであったものが、いつの間にやら、特にこの国では仮装行列の日となってしまったようです。クリスマスが“歳末大売出し”として変化するように、バレンタインデーは“チョコレートの日”など、儲けと結びつける商魂がたくましいというか、考えようによっては何でもイベントにしてしまい商機としてしまう、江戸時代以来のこの国の商人たちの逞しさを垣間見る思いもします。が、しかし、何でも集団で動き回る、乗せられやすい国民性というのも透けて見える気もして、私のようにへそ曲がりは皮肉の一つでも言ってやりたくなる、そんな気持ちで渋谷のセンター街の映像を見たのです。
私はすでに老人ですから、老人特有の慣用句利用の“権利”を行使して言うならば、近頃の若いものは“個”という概念に鈍感で、集団の中に埋没してしまうことに抵抗がないのか、と考えてしまいます。まあ昔も今も同じような傾向はあり、多数派はいつも集団志向の人たちが占めていたのですが、老人はそんなことは棚上げにして“近頃の若いものは・・・”といつもの繰り言を吐露するのです。アメリカのように実弾が飛んでくる“独自性”はともかく、もう少し若者のへそ曲がりに期待したいと考えるのは、やはり老人の偏屈な思いなのでしょうか。

この方は独立してますねえ