言語

ヒトの話す言葉は何でこれほどまでに違うのだろうと思ったことがあります。その昔ヒトは一つの言語で話していたのだが、ある日神様は思い上がったヒトに罰として共通言語を取り上げた、なんて話を読んだことがあります。だいたいが神様というのは我儘で自分勝手だから、洪水を起こしたり子供を殺せと言ったりして無茶難題を吹っかけるのが得意なんだけど、言葉をバラバラにして通じなくさせてしまうのは、ヒトに与える罰としてはかなり当を得たというか過酷なものであったと言えるでしょう。
この地球上にどのぐらいの言語あるのか知りませんが、仮に言語が一つであったなら、すべてのヒトが共通の言語を使っていたら、もう少しまともな種としてこの星に存在していたかも知れないと思います。しかし、同じ言語を話すもの同士でも意思の疎通はなかなか難しく、俗にいう“話の分からない”ヒトが多いのもまた事実で、言語だけ共通であったとしても今起きている問題に解決点を見いだせる保証はない、とも言えるでしょう。国会での首相答弁を聞いているとそんな気もします。
国会のことを「言論の府」と呼ぶことがあります。話し合うことを基本に議論を尽くして結論を導き出すところであるからです。しかし実態は理想とはほど遠いようで、首相に限らず大臣も質問とは的外れの回答に終始し、議論を尽くして共通点を追求するなどという作業には興味を示さないようです。おそらく官僚が作った思われる想定問答集に沿った回答を繰り返すことのみに専念する、そんな態度が見え見えの与党側答弁が延々と続くこともしばしばです。自衛隊最高幹部が米軍の幹部との話し合いの中で、集団的自衛権の行使容認を法制化すると、国会審議を開始するはるか前より約束していたとの文書が明るみに出ました。事実であれば文民統制もヘッタクレもないこととなります。この件に関する中谷防衛大臣の答弁は、共通言語を介したやり取りとはおよそ思えないものでした。どうも中谷大臣は原罪を今も一身に担っていられるようです。  

私はヒト語が分かる