遠き別れに耐えかねて・・・

このフレーズを聞いて、“ああ小林 旭の歌ったあれね”と思われる方も、まあそれも大分年輩の方が殆どで、今では小林 旭という名前すらあまり聞かれませんから、歌そのものを知っている方も少ないかもしれません。これは「惜別の歌」という曲で、もともとは島崎藤村の「若菜集」にある姉と妹の相聞歌のような形式の「高楼」という詩の一節です。送別会の時などに良く歌われました。どちらかというと甘く切ないやり取りを歌っていますから、恋の歌のように思われて歌われていました。
同じような別れの歌でも、漢詩となるとかなり趣が異なります。有名なところでは宇武陵の「酒を勧む」の一節「花発いて 風雨多し 人生別離たる」というのがあり、これは井伏鱒二の「ハナニ アラシノ タトエモアルゾ サヨナラダケガ 人生ダ」の名訳で知られています。ほかにも王維の「送元二使安西」に、「君に勧む 更に尽くせ一杯の酒 西の方陽関を出づれば 故人無からん」などがあり、いずれも酒が絡みいかにも酒付きの中国人らしく大陸風です。
藤村の「高楼」はすべてひらがなによって書かれており、いわば王朝風、雅な雰囲気で姉と妹の心のあやを描いているのですから、“酒をもう一杯のめや”とはならないことは当然と言えば当然なのですが、どうも私たちの中にはこの“なよっ”とした風情にも魅かれるところがあるようです。
“遠き別れに耐えかねて この高楼(たかどの)に登るかと・・・”と歌う心情は、多分にナルシズムとセンチメンタリズムの為せる技のようにも思え、どうも物事を合理的、客観的に見ることが苦手な国民性に繋がっているかも知れません。しかし、その反面荒事や武骨を疎むという“優し”が培われてきたと思えます。戦争が被害だけでなく加害も含むことを思う時、改めてその優しさに思いを致すのでありますなあ、愚にもならない“70年談話”なるものを見るにつけ・・・。

未だ休み・・・