やはり・・・良く解らない。

ファウスト」を再読してみたがどうもよく分からない。考えてみると前に読んだときは途中で投げ出したような気がする。第二部の展開などはほとんど記憶にない。あらすじは何となく覚えているのだから全く読まなかったというのでもないようなのだが、きっと斜め読みか飛ばし読みで終わったのだろうと思う。二世紀前に書かれたものという時間の壁というのもあるかも知れないが、もともと古典なのだからそれを承知で読むわけであり、シャイクスピアだってそうだし、源氏物語に至っては千年も前に書かれている。戯曲というのがとっつきづらいこともある。舞台での台詞なのだから独特の言い回しが馴染めないこともある。池内紀訳は最新のものだからきっと読みやすくはなっているはずだと思うが、井上戯曲のように言葉にリアリティが無いというか、台詞が生きていないように思える。池内の解説によるとゲーテは「ファウスト」をほとんど詩句の形で書いているという。つまり原文では韻を踏んでいるらしい。池内訳ではそれを散文風にしたと書いてある。だからということではないと思うが、どうもしっくりこなかった。
漱石の「それから」を並行して読んでいた。こちらは主人公代助の心象が言葉から読み取れる。やはりファウストと代助の住む世界の違いなのか、テーマは似通っているようにも思えないが、共通点はあるようにも思える。「それから」の代助はいわゆる高等遊民だから働きもせずにいて、自分との葛藤に多くの時間をさける境遇にいる。その点はファウストと同様である。筋立てや背景は異なるが自己とのやり取りを掘り下げていく手法は同じと言える。自分にとって何が必要なのか、自分は何を求めているのか、まあこの辺りは古今東西共通のテーマかも知れないから、この二作品だけの共通項ではないのだけれども。
とにかく「ファウスト」は今回もよく分からないうちに終わってしまった。

万有の真相は一言にして尽くす 曰く不可解