春のギャラリー 再展示展第5日目

昨日の■に対して今日は○です。一般に抽象的な絵画は心象とかひらめきとか余人の計り知れぬ部分を具体化する作業のように思えます。いわゆる「アンフォルメル」というジャンルなどは、もう何が何だかまったく意味不明という絵画もあります。けれど、見ていて飽きがこないというか、観る側の勝手、あるいは観る側が参加することで絵画の意味が成立する、といった要素を含んだ絵画ではないかとも思います。
この国では絵画を部屋の中に掲げて楽しむという習慣が、一部の世界でしか発達しませんでした。屏風や掛け軸、あるいは襖絵などは特殊な環境の中での装飾といった位置づけが長く続きました。江戸時代に庶民の間で流行した浮世絵なども、手に取ってみるという鑑賞法が主で、額に入れて鑑賞するということはしなかったようです。また日本家屋の構造上から壁を飾る様式にはなっていないことも原因しています。明治以後西洋化が進んだとはいえ、壁を飾る習慣はいまだ一般に根付いているとは言えません。残念ながらこの国では絵画は美術館で観るものという域を脱していないのです。
抽象絵画などはまさに家の中に置いて、日々対峙することで様々な発見がある、あるいは対話が出来る、そんな絵画なのだと思うのですが、狭い家屋内では飾る壁さえないし、対峙するゆとりもないのが実情なのかも知れません。どうもこの国は文化国家とはほど遠いところに居るようです。

to be or not to be      油彩  20号