火の鳥

ストラビンスキーのバレー音楽のほうではなく、手塚 治虫の「火の鳥」のほうです。「COM」という漫画雑誌に連載されていた頃に初めて読み、“これマンガじゃないよ”と度肝を抜かれた記憶があります。かなり長いストーリで、「COM」が廃刊となっても完結せず、その後も書き継がれました。ヒトの永遠の命題とも言える「何処から来て 何処へ行くのか」ということがテーマであったように思っています。
もうあれから長い時間が過ぎて、あの頃は考えられなかった世の中が目の前にある気がしています。インターネットの普及はもちろんのこと、スマホやカードなどはあの当時には夢のようなアイテムだったのです。けれども全く変っていないこと、あるいは退行しているのではと思われることもまた多くあるように思われます。中東やウクライナで起きている紛争はあの当時と同じ殺し合いであり、私たちの国の少なくない分野ではあの当時より後退を余儀なくされています。ヒトの見識や分別も退行しているようにも思えます。
手塚 治虫は「火の鳥」ではヒトへの希望を込めて描いていましたが、その後明らかにされてきた生物学や天文学の新事実を思うと、人類の未来はかなり惨憺たるもので、ヒト自身によると思われる墓穴があちこちにあけられている現実は、もう隠しようがない状況となっていると考えられるのです。今はもう手元にないので「火の鳥」を読み返すことは出来ませんが、機会があったら全巻を通して読んでみたい本です。ひょっとすると作者の作品に込められたメッセージが新たに見えてくるかも知れません。何かこのところ「火の鳥」が気になるのです。
ヒトはみな 早いか遅いかのちがいにて いずれは消える跡形もなく

世の中は 清むと濁るのちがいにて・・のパクリね