行き着く先は・・・

ゴーギャンの作品に「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処に行くのか」という哲学めいた題名の絵画があります。ゴーギャンに限らずヒトが何処から来て何処に行くのかという命題は、古今東西の多くの人が取り組んだ命題で、しかも未だ解決されていない命題でもあるのです。
一般的な答えは出ていて、30数億年前にアミノ酸やら何やらが化学反応を起こし、巡り巡って出現したホモサピエンスというヒトの祖先が、このところ急速に増殖して地球上に蔓延っている訳で、いずれは太陽に飲み込まれて消えてゆく、あるいはもっと前に絶滅する運命の種である、というのが通説です。要するにどうあがいたところで消滅することには違いなく、遅かれ早かれヒトという種はこの地球上からは消える訳です。そもそも地球があと70億年だか先になれば無くなってしまうという、さらにその先には太陽そのものが消滅してしまうことになっているらしいので、「我々は消える」というのがこの問の解としてあるのは自明なことなのです。
にも拘わらずヒトは未だ諦念も納得もせずに、ああだこうだと解を探してフラフラと彷徨っています。結局のところ、地球の時間軸とヒトの時間軸とのスケールの違いがあまりに大きく、全体は把握できても細部が見えなくなる、あるいは細部は理解できるが全体は実感できないといった辺りにその原因があるのでしょう。行き着く先が分からないのではなく、「我々は消える」という自明のことを受け入れることで、ヒトのアイデンティティーの喪失を恐れているとも言えるかもしれません。いずれ人類という種は絶滅すると決まっているなら、今さらじたばたしても仕方なく、あくせくせずにのんびりと暮らす選択肢もある訳で、そのように考えれば自ずとライフスタイルも無理のないものとなっていく、思想や宗教やちっぽけな島の領有権などどうでも良くなると・・・、てなことを考えましたが、意味も無くあほ臭いので止めました。ですから今日は休みです。

馬鹿みたい