堀田 善衛という作家

この作家の本を初めて手にしたのは確か4・5年前で、「定家明月記私抄」という題名のものでした。例によって図書館で借りた本でしたが、読み終わる間もなくネットで注文したほど気に入った本でした。この作家が「インドで考えたこと」という名著を出していることは、もうかなり前に椎名誠の「わしもインドで考えた」でおぼろげながら知っていたのですが、最近になってやっと読んでみました。もっと早く読めばよかったと後悔しました。
すでに書かれてから半世紀以上経つ本ですが、内容に全く古さを感じることがありません。もちろん時代的な制約、例えば“少女歌手 美空ひばり”などという件も出てきますが、こんなものはご愛嬌であり、時代を超えた作者の息吹さえ感じることが出来る本です。インドという国を通して自分の向き合うべき対象を、日本人というアイデンティティを、あるいはアジアに暮らす人々の置かれている現状を、自らと読む者に問いかけています。欧米によって(ある時期からは日本も加わって)好き勝手にされてきたアジアが、自らの尺度の基準点を何処に求めたらよいのか、この問いかけは実のところ未だ解決していないともいえる課題であり、堀田善衛という作家が50年以上も前からその問題と真剣に向き合っていた記録とも言える本なのです。今やインドも経済的に著しい成長を遂げている最中であり、アジアを取り巻く様々な環境も当時とは大きく変化しました。しかし未だに西欧文化圏経済圏に支配されていることも事実であり、その意味から言ってもこの本のテーマは現代的と思えるのです。
この作家は日本の古典への造詣も深く、絶筆となった「一言芳談抄」などを収録した「故園風来抄」は、古事記万葉集源氏物語、果ては一休禅師まで幅広く論評を加えています。また「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」など少し毛色の変わった読み物をあり、「ミシェル 城館の人」(読んでないのですが)では和辻哲郎文化賞を受賞するなど、思想、哲学も(これが本職なのか)守備範囲なのです。読むべき本は山のようにあると改めて思わされた作家なのです。

暇なんだから本ぐらい読んでね