手帖

手帖を使い始めてからもう何年になるのか、よく覚えていませんがかなりの期間使っています。手元には古いものが15冊程度しか残っていませんが、きっとそれより前から使っていたのでした。
私の場合、予定を書き込むという使い方よりは日記代わり、あるいはメモ代わりといった使い方が多く、最近では山などに行ったときに行程の時間なども記録したりします。その日その日の天気や,場合によっては気温、一時期は朝見た小鳥の種類なども記録していました。電子手帳が出てからちょっと使ったこともあったのですが、やはりアナログで万年筆を使い記帳するほうがしっくり合っていると思っています。携帯端末やデジタルな記録はある意味便利すぎて使い切れません。若い人たちスマホで何の躊躇もなく様々なアプリを使い、膨大な記録とデーターを利用しているのを見るにつけ、万年筆と手帖の世代は“世界が違うなあ”と嘆息するのです。
今使っている手帖はいわゆるシステム手帳に近いやつで、このタイプが出てから手帖は中身だけ変えてカバーは何年も使えるといったスタイルになりました。高級な皮のカバーや凝った装飾のものなど、外装が豪華でいかにも“ステイタス”という雰囲気を持つものが多いことも特徴です。私の手帖も一応は皮の外装ですが安物で、あちこち傷だらけの色も剥げている代物です。けれど10年以上も使っているとなかなか捨てられず、レザークラフトの高級品には縁がありません。
この手の小物は凝りだすと限がない世界ですから、あまり深く関わらないようにしていますが、時折文具店などに行くと心を揺さぶられます。とくに銀座の伊東屋は心臓と懐によくないのでもう何年も行ってないのです。

そんなことより この家直して