中国という国

天安門事件」からすでに24年が経ったと先日の新聞で報道されていました。学生などが中心となって起こした民主化の流れが、銃と戦車で押しつぶされた事件でした。私も詳しい内情について知らない野次馬ですが、「社会主義政権=一党独裁」の存続と資本主義論理のせめぎあいの中で生まれたとも思えるこの事件は、結局その後の中国の進路を大きく変化させた事件でもあったようです。
 世界第二の経済大国となった中華人民共和国は、貧困と差別、劣悪な労働環境と自然環境破壊を内に燻らせたままのし上がったモンスターのようにも思えます。「共産党宣言」が予見した凶暴な資本主義そのものに見えるのは、私の偏見とばかりとも言えないような気もするのです。しかし、パクリと安物の代名詞であった中国製品が、近い将来には“メイド・イン・ジャパン”と肩を並べることは間違いなく、それだけの技術力を急速に付けてきていることは、私たちの身の周りの中国製品の数の多さとそのレベルをみれば容易に推測できます。
 「民主化」を犠牲にして突き進んできた中国の選択は、社会主義の表看板とは裏腹に国内の様々な矛盾を増大させているようにも見られます。中国の指導部がとった経済成長を最優先させる政策は、私たちの国が進んできた道でもあり、おそらく世界の先進国の常道でもあったはずです。しかしその過程で先進諸国は多くの問題をかかえこみ、その少なくない部分が未だ解決出来ていないのです。資本主義が競争原理と利潤追求を建前とする以上、格差や差別、それに伴う貧困層の存在は逃れないものとも言えます。儒教をはじめとする多くの高邁な倫理観を生んだ中国が、そういったシステムを丸ごと受け入れてしまう事態を、当の中国国民はどのように考えているのでしょうか。
 尖閣諸島をはじめ周辺諸国との間で領有権問題を多発させてきた最近の中国は、軍事的にも帝国主義的な様相さえ見せ始めています。覇権主義と援助をセットにしたかのようなその外交姿勢は、天安門事件以前は見られなかったものですが、いわゆる「中華思想」の復活で単なる先祖帰りなのか、大国意識が丸出しの中国はソ連亡き後のその座を狙うつもりなのか、どちらにしても時代錯誤のようにも思えます。
 

自信たっぷりだけど 落ちるよ