シンプルライフ

私は慢性趣味中毒という持病を抱え込んでいることもあって、無駄な買い物や買ってもろくに使わない買い物をすることが多いのです。中でも分不相応というか自分の力量を考えずに買ってしまうものも少なくありません。あれも買ったこれも買ったなどと書き連ねるといかにも自慢しているようなので止めますが、傍から見れば使い熟すことも出来ずに”猫に小判“、”宝の持ち腐れ“の類の物も幾つかあります。おまけに、根が貧乏性なものですからそういった代物を手放すことも出来ず、部屋の中はガラクタで埋まると言った有様を続けているのです。どこかでどうにかしなければと常々考え、踏ん切りをつけるべくいろいろ試行錯誤を繰り返すのですが、一向に片が付かないで相変わらずの状態を打開できずにいます。
 この状態を一気に解決する方策としてガレージセールを夢想したことがあります。家の中にあるガラクタ一切を露店に並べ、ワンコインセールをしたらさぞやすっきりするだろうと夢想するのです。余分なものをすべて処分し身軽になる爽快感は何物にも代えがたいのではと、考えることは考えたのですが未練としみったれが勝って実現しませんでした。京極夏彦の「嗤う伊右衛門」という小説では、主人公が最後に自分の家を柱と屋根だけを残すまで解体して、身軽になる結末が描かれています。あれは究極のシンプルライフで、動機も置かれた状況も全く異なるのですが、ホームレスの気楽さに通じるものを感じました。
 ヒトも野生の動物と同じに草原に出た時は身一つであったはずで、物に執着したりつまらないことで悩んだりする未来が来るとは夢にも思わなかったことでしょう。シンプルな暮らしや身軽さを願望するのは、その頃の名残が遺伝子の中に記録されているせいなのでしょうか。時々無一物になった自分を思うのです。
 

何がシンプルライフよ 幻想よ お布団ぬくぬくよ