押し付けられた憲法

自民党改憲論者や維新の会は現行憲法に対して、口を開けば“押し付けられた憲法”と言って忌み嫌っているようです。今や飛ぶ鳥を落とす勢い?の安倍内閣は、参議院選後の重要案件として憲法改悪への具体的手続きを政治日程に入れるでしょう。
でも、敗戦後のあの時期にアメリカが現憲法を提示しなかったらどうなっていたのか、まさか旧憲法をそのまま使う訳にもいかなかったでしょう。事実、アメリカの提示前に日本の担当者が考えた憲法草案は、旧憲法の焼き直しでまるで相手にされなかったようなのです。その程度の認識しかない当時のこの国の指導者たちの末裔が、どの面下げて“押し付けられた憲法云々”と言えるのか、少しは歴史をお勉強しなさいと言いたくもなります。
現行憲法はある意味では理想主義に走りすぎたきらいがある、という意見が一部ではあります。しかし考えてみれば、憲法は本来理想を高々と謳うものであり、“他人の国の憲法”という気軽さもある草稿を練った担当者の、少し高揚した気分さえ感じられる内容、構成は、決して悪い出来とは思われず、とくに前文の格調高い理想主義は、何度でも読み返したくなるほどです。第1章に「天皇」を持って来たりすることへの不満はあるにしても、第2章の「戦争放棄」、それに続く第3章の「国民の権利及び義務」などは堂々たるもので、世界中の国々の範となるべき憲法であると信じています。“日本国憲法世界遺産にしよう”という声もありましたが、「戦争放棄」という世界でも稀な条文を持つ憲法は、私たちにとって誇りであるとともに、かけがいの無い財産でもあるのです。
ともあれ、参議院選挙での結果如何では憲法改悪が現実味を帯びることになるかも知れず、その時こそ私たちの理性が問われる訳で、基本的人権を制限することを公言してはばからない自民党憲法草案などを、文字通り”押し付けられる“ことのないよう心しなくてならないと思うのです。
 

私には押し付けないでね