安保条約を破棄すれば良いだけの話

オスプレイや米軍基地の問題が話題になるたびに、“嫌なら「安保」を止めればいい”と思うのですがどうもそういう議論にならないようです。沖縄に基地が有るのもオスプレイの配置にしても戦略上の問題でしょうから、住民の意向や騒音上の問題でそれらが左右されることはないと考えるのが常識というものです。
日米安保条約という軍事条約を基本にしてこの国の外交政策が決められている以上、米軍の日本における配置は米国の世界戦略の中で決められ、この国の政府はそれをサポートする義務を負わされているのです。言ってみれば、日本国政府の米国に対する様々な安保がらみの“交渉”は国内向けのポーズであり、すでに決定している事項を国内に納得させるためのデモンストレーションなのです。核兵器持ち込みの「密約」やそれに類する非公開だった約束事が近年いくつも明らかにされていますが、軍事条約は戦略を最優先させることが前提であり、それを理解しないもろもろの意見要望はお笑い草でしかないのです。
今回のオスプレイ配備などは、防衛大臣アメリカに行ってオスプレイに乗ろうが乗るまいが、沖縄配備は変更されず日程も変わらないことが明々白々でした。出来レースの猿芝居が税金を使って演じられていたのです。仮に、今オスプレイの墜落事故が起きれば一時的な配備延期はされるかもしれません。しかし、ほとぼりが冷めれば必ず配備されることとなるでしょう。オスプレイ配備も沖縄の基地問題も、米国の軍事力を盾に使う安保政策を見直すことに問題解決の本質があるのです。
では安保問題に私たちの関心が向けられるかと言えば、これが貴方、そんな訳にはイカの金玉タコが引っ張るというくらいで、世の中上手くいかないからさあ御立合い、と言う話となっていくのです。やれやれ。
 
 何をイラついているのよ