家は住む人を現わす

「普請道楽などと申しまして、お金持ちの道楽で最後に来るのはこれだと言いますな・・」、むかし落語でそんな事を聞いた記憶があります。たしかに現存する「名邸」などいうのは、そのほとんどがお金に糸目をつけずにこしらえたもので、名の通った建築家が設計したものばかりでなく、無名の大工が造った家屋などもあり、それぞれに施主の思い入れや人柄が偲ばれるような建造物が多いようです。
「建築家」という職業が社会的に早くから認知されていたヨーロッパでは、建物を設計する人と造る人とが分業されていて、日本のように大工の棟梁が図面を書いて造るという事情とは少し違っていたようです。もちろん一般庶民の住む住宅は洋の東西を問わずに、大工が図面など書かずに経験と勘で造っていたと思います。しかし資産家や貴族たちは自らの住居を、権威や富や教養の象徴として造ることを望みましたから、外観、内部装飾、果ては家具、食器にまで気を使ったと言います。
アントニオ・ガウディは19世紀後半から20世紀初頭に活躍したあまりにも有名な建築家ですが、彼が設計した現存する建物のうちでも“カサ・バトリョ”という集合住宅は、外観は勿論のこと内部の装飾に至るまで細部に拘りぬいた建物として特に有名です。更に驚くべきはこの設計は改修であり、他人の造った建築にまったく別の衣装を着せてしまう作業だったとは思いもよりませんでした。例によって実物を見た訳ではないので写真やら映像のみの知識ですが、窓枠からバルコニー、ドアー、天井、照明、明かり取りのガラス、数え上げればきりがないほどに独特の意匠が施されています。もちろん入口や階段、暖炉室などは他に例を見ないほどのユニークさで造られているのです。体の内部や動植物を思わせる曲線を多用した独特のデザインは、こんなものを造らされた職人はさぞ大変であったろうと要らぬ心配をしてしまうほどです。施主ホセ・バトリョ・カサノバスという人はさぞや自己顕示欲旺盛な人であったのでしょう。成功された実業家であったと言います。
ああいった建築を見せられると、この国の住宅のみすぼらしさが一層際立ってしまい、そのような住宅にすむ国民のレベルの低さを、国中で表現しているかの錯覚に捉われてしまいます。やはり「食う寝るところ、住む処」は何をさておいても大事なところ、大切なもののようです。
 
家が無いから被っているんではないのよ