TV報道の品格

オーム真理教の高橋何某という容疑者の逃亡がマスコミを賑わせています。直前に逮捕された菊地という女性信者などについては、ほとんど下ネタ中心の報道が週刊誌で盛んにやられています。一昨日のTVでは、高橋何某が使っていた携帯電話が他人名義であったというニュースを、かなり大きく取り上げて報道していました。そんなことが重要とは思えないし、今回の“捕り物”自体が連日大騒ぎするほどのものではないように感じられるので、何か意図的に話題をつくって世間を欺いているのでは勘繰ってしまいます。その昔、政治的課題から関心を遠ざけるためにオリンピックを開催したり、万博をやったりした“前科”がありますからね、国の指導者の方がたは。そしてマスコミもその尻馬によく乗るんです。警察情報をそのまま垂れ流し顰蹙を買った「松本サリン事件」では、報道の自主性が問われました。しかし相も変わらずに独自の調査は棚上げして警察情報にしがみついているマスコミは、反省も品性もなく十年一日のようです。
それでも新聞はどうにかその本分を保とうと努力はしているようですが、TVはすでにその辺りを放棄しているらしく、ニュースはバラエティーの一部と位置づけて開き直っています。芸能とスポーツ、食べ物レポートが中心となって構成されるニュースショーは、すでに報道番組とはかけ離れた存在でもあるように見受けられます。NHKの“堅苦しい”と言われたニュースに対抗して民放がつくり上げたニュースショーは、小賢しい“コメンテーター”とともに無用の存在といえる番組となったようです。それにしてもこのニュースショーでやたらCMが多いのはなぜでしょう。おまけに気のきいたCMは皆無で、アイドルとお笑いタレントが代わる代わる顔をだす無芸さには呆れます。せめて報道番組位は節操を持ったらと思いますが、そういった節操も投げ捨てているようです。
 
 シモネタアングル(失礼ね)