価格と価値

 “激安”という今ではすっかりお馴染みとなった二文字が巷には溢れています。給料は上がらないし、「電気料金の値上げは権利」などと言う会社もありますから、安いものに飛びつく心理は無理からぬことと思わなくはありません。しかし、「安物買いの銭失い」とは先人の知恵であり、物には相当の価格というものもある、という理屈にも頷けるのです。
 “物の価格は安ければ安いほどよい”という激安ショップの裏には、本来の価格以下の値段で、つまり儲けもなにもない、さらに言うなら赤字で泣く人々が必ずいるということではないかと思うのです。物の価格は原料やら手間賃を基にして決められます。古典的言い方をすれば「需要と供給のバランスで」、マルクス流に言えば「その物を再生産するに必要な社会的労働時間」によって決められます。要は物の価格は、最低限それ以下となったら“元も子もないよ”という水準があって、それを価値とも呼べるのではないかと思っているのです。
 安いものを気軽に買って嫌になったらすぐ捨てるという習慣は、“大量生産、大量消費”を無責任に推し進めてきた歴代政府の政策と、それに浮かされて前後の見境を失った私達との共同幻想でした。ほんの一時期でしたが、そういった傾向に歯止めをかけ地道な生活を志向しようとする流れも生まれました。しかしバブルがはじけ不景気が続くと、景気回復のためには成長戦略が必要とばかりに、消費を煽る方向に経済はシフトしました。“値下げ合戦”が始まったのです。商品価格の下落は生産コストを圧縮することを強要します。その結果、現場で起こったことの説明は必要がありません。国内外での労働環境の悪化が日常化したのです。
 結局のところ、安物買いに走るということは物の価値が分からない、物の価値を認めないことであり、それは物を生産するヒトの価値を認めないことと同じではないかと思えるのです。これは自らへの反省を踏まえて行きついた結論です。
  

  今になってそんなことを・・・、まあ分からないよりましかも。