付和雷同

東京や大阪で“原発の再稼働に対する住民投票”の請求署名が法定数を超えました。大阪市ではこれを無視して住民投票の提案をしないとしていますし、東京もこれからどうなるのか、例によって知事閣下はそれどころではないらしく、このまま店晒しとなることも十分考えられます。東京も大阪も、もともと原発推進もしくは容認の立場の首長ですが、大阪の場合は府が市に引っ張られて引きずりまわされているような構図で、なんとも見ていておかしな様子です。大阪市長原発再稼働に注文をつける狙いは何なのか、おそらく俄か原発嫌いとなった原因は、選挙狙いのパフォーマンスかと思われますが、“廃棄物”の最終処理にまで言及するあたり、現政権への嫌がらせ(原発廃棄物の最終処理問題は、現時点では解決策がない)であることは明白でしょう。
このところの原発がらみでは、散々に甘い汁をすった人達も冷や飯を食った人達も、こぞって“再稼働”に疑問を投げかけています。原発の地元住民の中には、安全性を確認したうえでの一日も早い再開を望む声もあり、自分達の生活と安全性との間で切羽詰まっている状況もあるようです。けれど“再稼働”や“推進”を声高に言う人は今なりを潜めています。世論調査などでは原発に反対する人達が5割程度にとどまっていて、必ずしも原発廃止がすんなりとこの国のマジョリティになるとは限りません。機をみるに敏な人達は、疑問を投げかけることで様子をみているのでしょう。
今年の夏の電力供給や経済活動への影響が深刻になるような事態が起きれば、おそらく一気に“再稼働”の声は強まることと思われます。民主党政府が原発に代わる新エネルギー政策や成長戦略に変わる経済政策を打ち出せない現状では、いずれなし崩し的に原発依存に戻って行くのではないかと危惧しています。ある作家が言うように、「原発からの脱却は理性の問題」であるとすると、今のこの国の現状は甚だ心もとないと言わざるを得ません、残念ですが。

ヒトは主体性に欠けるから