原子力の利用 その2

1979年にスリーマイル、1986年には旧ソビエトチェルノブイリ原発事故が起きました。それまでにも原発に関わる事故は起きていましたが、この2件の事故ほど深刻なものは経験していなかったと言って良いでしょう。そして昨年の3月、福島第一発電所で3回目の深刻な事故が起きてしまったのです。1951年に原子力発電が始まって以来、たかだか60年余りで3回も深刻な事態に見舞われることになってしまったのです。前2件の事故と異なり今回の福島は、自然災害が引き金となりました。このことは、人的災害によるだけでなく、自然災害によっても事故が起こることを図らずも証明したこととなり、地震津波、台風といった自然の猛威が日常的に起こりうるこの国の立地条件が、原子力発電というシステムに如何に不適合だったのか、改めて明らかにしてしまった出来事であったとも言えます。
原子力による事故が他の事故と比べて深刻なことは、原爆による被害でも明らかなように事故の結果が数十年、あるいは数百年にわたり影響し続けることにあります。そして数万年のオーダーで影響がでる場合もあり、これはもうヒトの尺度を超えた被害でもあります。また原子力による事故は一国にその影響がとどまらないことも特徴です。今流行りの“グローバル”な性格を持っている訳です。さらに、今回の事故をきっかけにして避難範囲が原発から半径30キロに広がりました。これは最大100万人を超える避難民が出る計算となり、関係自治体は避難そのものが困難と表明しています。事故が起きても逃げることさえ出来ないような事態が、あらかじめ分かっていながら手を打ちようがない、そんな施設の運営をするべきでないことは明白です。加えて、原発から出される高濃度放射性廃棄物の保管場所の問題があります。10万年とも言われる保管期間を誰が何処で管理出来るのか、原子力を扱うにはあまりにヒトは無力と言うしかありません。
原発の事故を防止する唯一の手段は廃炉しかありません。しかしその廃炉さえ数十年先でなければ決着しないし、高濃度放射性廃棄物は依然として残ります。また、その期間中に事故が起きて放射性物質が飛散する可能性も皆無とは言えません。まったくなんでこんな厄介なものを作ったのか理解に苦しむばかりです。原発による事故被害は一国にとどまらず広範囲の周辺国に影響を及ぼします。世界中の原発建設、稼働について、国連単位での規制、廃止条約の検討を開始すべき時であると考えます。
鉄腕アトム原子力エネルギーで動いていたことは知っていましたが、十万馬力のエネルギーが正義のために使われる夢を見ていた時代は終わったのでしょう。
・・・・・などといかにも知ったふうなことを書きましたが、中途半端な知識でしかない私の考えなどは一笑に付されるレベルです。それにもう若くはないので、例え放射能汚染が起きても高レベルではない限り、個人的には危急存亡の時ではありません。ただ、この目で悲惨な未来を見たくないから、自分の考えをまとめてみました。