元日の新聞

 毎年元日の新聞はボリュウムばかりで中味が無いことが多いようです。今年も同様でこれと言ってみるべき記事もなく、そのままちり紙交換ラックに行きました。新聞に限らずテレビなどは見るに堪えないお粗末で、BS放送が始まり選択肢が増えても相も変わらぬバラエティ中心の、もっとも殆ど見ないチャンネルばかりなのでどうでもいいと言えばどうでもいいのですが、いよいよマスメディアの終焉到来を予感させるに近い内容となってきたようです。
 “ネット”というとんでもない代物がマスメディアに取って代わる日もそこまで来ている、ここ数年でテレビや新聞は「ラジオ」のレベルにその位置を変えていくと思われるのです。私も含め世界中の何億もの人が様々な意見や“報道”を発信する時代となり、従来のマスメディアもこのネットの中では一発信者になってしまう、今まででは考えられない状況が生まれつつあります。情報と呼びかけが交錯し飛び回り、なんとも騒々しい世の中が構築されることでしょう。けれど、突然に電源が落とされネットが途切れる時もあるかも知れず、発信された情報や意見は責任の所在が曖昧で、そんな時はどんな状況に陥ってしまうのか、考えてみるとヤバいことしか頭に浮かびません。“ネット社会”という未知の世界に、私達は恩恵を享受できるのかそうでないのか、あまり良く考えもせずに手にしてしまったこのアイテムに、少なくない不安だけは感じています。じっくり腰を据えて考えたり、自らの分を見失うことなく行動することが、一層難しくなる危惧を思わずにはいられません。
 などと聞いたふうなことを書きましたが、すでにネットが無ければ困る生活に突入している私は、どうすればこのアイテムと距離を持って付き合えるかと、年頭にあたり再確認する必要性さえ感じているのですが・・・。
      
      しのびよる魔の手