「君が代」

 最高裁で「君が代」斉唱を強制する職務命令に合憲の判断を示した。予想された結果ではあるけれどなんともやりきれない思いがする。私は戦後生まれで天皇が国の政治に深く関与していた時代を知らない。しかしその時代の国歌が「君が代」であり、歌の内容は天皇賛美(本来の意味は天皇を指したものではなく、恋人のことを歌ったざれ歌らしい)の意味を持つとして国民の間に流布されていた、と言うことは事実として知っている。
 敗戦処理の都合で天皇の戦争責任追及が棚上げにされて、必然的にそれに伴う様々な付帯するものが未処理のまま生き残った。「君が代」「日の丸」、戦争犯罪者などだ。同じ敗戦国であるドイツやイタリアが戦後処理の中で責任追及をおろそかにしなかった。当然のこととして国歌や国旗は改められ、新しい国のシンボルとしての地位を確立してきた。一人日本だけがこのことを曖昧にし、国歌や国旗また戦争犯罪人さえも復活を許してきた。今回の最高裁の判断はそれらを司法の場から補完する、言わば戦争責任の棚上げを追認する反動的な判断と言える。今さら「反動的」もないが、こんな言葉をこの期に及んで使う時がこようとは夢にも思わなかった。
 東京をはじめ大阪やいくつかの自治体で、「君が代」、「日の丸」を教員や生徒、職員に強制する動きが目立つ昨今、憲法の精神をないがしろにした一連の流れに不快と危機感を感じる。

暗黒の・・・・・。