自然保護ということ

 ヒトと自然との関わりは保護する、或いはされるとかの次元ではないとよく言われます。名称は「自然保護運動」などといっても、具体的には「調査」であったり「観察」であったりするものが主な活動で、「保存」や「復元」はそれらを踏まえて行われる部分的、限定的な取り組みに過ぎません。「保護」といってもそれはあくまでヒト側の言い草で、「自然」にとってみれば“余計なお世話”になる事さえあるでしょう。
 「日本自然保護協会」は日本の中にあるこの分野の草分け存在的な組織ですが、小規模ですし、全国の同様な団体との横のつながりを持っている訳ではないので、ナショナルセンターとしての機能は持ち合わせていない組織です。私もこの協会の会員ですが、会員登録をして会費を払うだけの数合わせ会員です。それでも会報は隔月で送られてきますから、「協会」が今何をしているのか、「自然保護」の現状はどうなっているかぐらいの情報を掴むことは出来ます。“枯れ木の山の賑わい”と言いますから、私程度の会員でも10万人もいればそれなりの圧力となるかも知れないのですが、現在の個人会員1万2千名程度ではなかなかそうもいかないようで、協会の運営は大変なようです。調査活動や普及活動が中心の協会ですからイベントを開催したり、具体的な「保護運動」を展開するといったことはやらないようです。そんなこともあってか知名度もいま一つです。外国、主に先進国の同様な組織と比較すると一ケタも二ケタも規模が小さいのですが、自然が豊かな国ほど「保護活動」は低調というセオリーが、そのまま当てはまる残念な状況がいまも続いています。
 身の回りの自然に目を向けて観察することは、お金も手間もかからない手軽な「保護活動」と言われます。「協会」の普及育成活動で自然観察指導員制度というものがありますが、まず「観る」こと「知る」ことから「保護活動」が始まるという理念からこの制度が創られています。「保護」の定義や用語の適正さの課題はあるとしても、一人ひとりの身近な自然に注意を向ける行為が大きな自然を守る取り組みにつながるという、いかにも取ってつけたような検証も反論もしようのないロジックですが、私のような“眼だけ耳だけ自然保護”凡俗にとっては、縋りついて安心するお題目ではあります。
どうも“「」”の多い、何を言いたいのか良く分からない文章でした。


以前すこしふれた足を引くキツネです。