「クイーン」

 映画「クイーン」をテレビで観た。ダイアナ妃が交通事故で死んだ前後のイギリス王室の内幕物で、主演のヘレン・ミレンがオスカーを受賞した映画だ。ヨーロッパでは王が国の中心に居た時代が長く、今でもイギリスをはじめとして幾つもの王国が現存する。しかし王と言っても現在では名目的な王権しか持っていないから、政治に影響力がない象徴的な存在であるだけで、日本の天皇制とさして変わらないと言える。
 ところで民主主義という政治システムが世界のスタンダードとなってからすでに半世紀以上経過している。にも拘らず王制の片鱗が払拭されずに残っている不思議はどの様に理解すれば良いのだろう。或いは民主主義は世界のスタンダードになってからまだ1世紀に満たない。まだ成熟していない政治システムでもあり運用も使い方も慣れていない。したがって長く続いた王制や封建制を全部なくしては心配、といったほうがマジョリティと言えるのだろうか。
 映画の世界では王様の出てくる時代劇が洋の東西を問わず人気だし、「ロイヤルなんとか」とか「皇室なんとか」といった話題は“平民”の間で一定の支持と関心を引き付ける。また、王族や皇族を有難がる風潮も依然として根深い。しかし日本の皇室などは天皇と言う絶対無責任者を「象徴」にした世界でも珍しい君主制で、これのどこが、何が有難いのかまったく理解に苦しむ。責任を取らない無責任者をどう尊敬すれば良いというのだろう。イギリス王室の“ノブレス・オブリージ”は有名だが、あれはいざという時に事の先頭に立ち国民のために働く(実際はともかく)気概を示す。だから平時においても尊敬される存在として認知される。それを踏まえて映画の中の王さまは、常に戦いの先頭に立ち馬を駆るのである。そういった行為の代償としての王権であり特権なのだ。
 私の周辺には王室や皇室を有難がるものはいないので、そういったものに親近感や崇拝の念を抱く理由を直接に聴く機会は無い。しかし野次馬的には、つい先日に行われたイギリスの“ロイヤル・ウェディング”などを観たりするものは居る。私もそれはテレビで観たし、遅ればせながら(2006年の制作だから・・)映画「クイーン」もテレビで観たのだった。実のところ、映画「指輪物語」の王様(アラゴルン)は文句なくかっこ良いと私も思う。自分には無い強さや権力に対する憧れがそういった思いの底にあるのかも知れない。けれどそれと王室や皇室の肯定とは別物であるし、私は自分の上に能力と関係ない権威を置くことを認めることは出来ない。どうもヒトには二種類の種族が居るらしい。それはサルの時代を引きずっている序列主義者と、人類としての新しい価値観を求める種族とである。日本国憲法は第1章に天皇に関する条文を置いている。理想と現実の折衷だったのだろうか。
 「クイーン」を観てこんなことを思った。

この方は私の上に神として君臨されています。