日和見

 この国に住む私達はあいさつの初めに気候の具合を入れることが多いのです。また、話すことが途切れると天気を持ち出すこともよく有ります。曰く「それにしても良い天気ですね」などとやります。天気の話題を出すときはネタ切れ、間つなぎになっているのです、今日の私がちょうどそうであるように。
 この頃はあまり言わないようですが「日和見主義」などという言葉があり、余り良い意味では使われませんでした。「日和った」などと言われるとそれだけでかなり不名誉な事態となり、“総括”されたりしたものでした。しかし考えてみると、「日和」を見て事を行うのは理にかなった行為とも言える訳で、原理原則に捉われて柔軟性の無いあるいはガチガチの教条主義などより、その時々の状況を判断に入れる進んだ思考法とも考えられます。一貫性のある、筋の通った、ぶれない、こだわりに徹したなどというと、なんとなく安心するような頼れるような気分になりますが、一歩間違うとゴリゴリの保守、頑固、状況判断が出来ない無能力者とも言えることになってしまいます。“KY”なんて言う気持ちの悪い表現は別にしても、その場その場の状況判断を的確にすることは大事なことでしょう。自分の意見をころころ変える、他人に言われると前言を翻す、というのはあまり感心できませんが、自説にしがみつくのも如何なものかと思います。
 さて、かんじんの日和見ですが、このところの天気は春が近いと感じさせます。菅政権は日和見というよりは自分がどこに居るのか、何をしたいのか分からないといった風で春は遠いようです。
PS 昨日の文中の「道路公団」とあるのは、形ばかり民営の今は「会社」のことです。

私は日和見には敏感ね。