ある問題

 消えて無くなることが救いとなるのもありかな、と考える時があります。「香水」という本のラストは主人公が文字通り消えてしまうのです。消え方は衆人によって食べつくされてしまうというとんでもない消え方です。いきなり本のラストを明かしてしまうというのもとんでもないことですが、主人公はこの世に自分の痕跡を一切残さず消えることで救いを手に入れることが出来る?と考えたのではと思います。ヒトはいずれ消えて無くなります。これは誰もが逃れられないことで、いってみれば生き物であれば特別なことではなく、普遍的な何でもない当たり前のことな訳です。おそらく地球上の生物の中で、生命活動の終わりを特別のものとして取り扱う生き物はヒトぐらいで、かなり特殊な行動パターンとして位置付けられるのではないかなどと思っています。象や猿の一部にはヒトと似た行動をとることがあると言われていますが、今のところ通説とはなっていません。
 以上を踏まえてつらつら思うに、細胞が再生を繰り返す作業を終わる時は、そうすることに意味が無くなった時である訳で、これを無理に繰り返させることは生命体にとっては負担であると思うのです。がん細胞というのはこの自然のサイクルに狂いが生じてしまったもので、再生増殖が止まらないゆえの悲劇をもたらします。手塚 治虫の「火の鳥」のなかで、火の鳥の血を飲んだ若者が歳をとっても死ぬことが出来ずに煩悶するエピソードがあります。ヒトは不老不死になったとしても良いことばかりではないのでしょう。生物の持ち時間に制限が設けられているのは、かなり合理的システムであると言えるかも知れません。そこでこのシステムをさらに一歩進め、積極的に運用できる手段を確立すれば良いと考えるのです。要するに自分の終わりは自分でコントロールすることです。ただ問題は、幕を引くタイミングと幕引きに伴う苦痛や痛みをどうして解消するかということで、これらを解決できればパーフェクトな人生だって可能になるやもしれません。もちろん幕を引きたくない人はお迎えが来るまでダラダラやっていれば良い訳で、選択肢は当然あるのです。私個人としては、あるシチュエーションでの幕引きの構想があるのですが、この場で披露するのも如何なものかと考える今日この頃なのです。
どなたか知らない?あれで旅立てるところ・・。

またろくでもないこと考えてんでしょ・・・。