和歌

  見わたせど 花も紅葉もなかりけり 浦の苫やの秋の夕暮れ
のっけからなんだ、と思われるのもご尤もですが今日は格調高く和歌です。上の歌は藤原 定家のものですが、定家の親父さんの俊成さんが詠んだ
  またや見ん 交野のみ野の桜がり 花の雪散る春の曙
これに対応したものではないかと常々思っているのです。大野 晋さんも丸谷 才一さんも何も言ってないので違うかもしれませんが、二つ並べてみるとやはり対になっているというか、定家が親父さんを意識して作ったようにも思えるのです。
  さびしさに 耐えたる人のまたもあれな 庵並べん 冬の山里
今度はがらりと変わり西行さんの歌です。いかにもと言う感じで西行さんの人となりが伝わります(別に個人的なお付き合いがある訳ではないので、あくまで推測です)。歳をとって一人になり、こういった環境の中で暮らせるとしたら、さぞや静かな時間を過ごせるでしょう。
  夕ぐれは 雲のたてはに物ぞ思う あまつ空なる人を恋うとて
これは古今集にのっている歌ですが、独りになって雲を見ながら、その下に居るだれかさんに思いを寄せるという、今では考えられない状況下での歌です。あの当時の人の感性の豊かさにはびっくりします。というか、それだけ世界がゆったりしていたのでしょう、もちろん生活にゆとりのある人達だけかも知れませんが。
突然和歌など持ちだして、何を血迷うかと言われそうですが、たった31の文字の組み合わせで、ほとんどすべての感情表現が出来るアイテムは、他に例を見ないものでしょう。たまには和歌も良いものです。

和歌ったから せなか掻いて。