音楽徒然 その2

 60年代と言うのは音楽的には豊作の年代らしく、ボブ・ディランやローリン・ストーンズ、そしてサイモン&ガーファンクルも出ています。もう10年以上前になりますが、ボブ・ディランの30周年記念コンサートが開かれたときのビデオを見て、そこに集まったメンバーの多彩さ、豪華さに驚くと同時に呆れました。日本で行われる懐メロコンサートとは似ても似つかぬ内容で、音楽的土壌の違いに愕然としたものです。
 60年代の日本では“和製フォーク”と言う訳の分からないジャンルが確立し始めて、70年代に向けそれなりに成功をおさめた時代でもありました。音楽の分野でもご多分にもれず日本は常にアメリカ追随で、この日本フォーク・ソングブームの源流もP・P・Mとかジョーン・バエズに行き当たります。しかしこれも例によって本場の上澄みだけをとって培養するという日本独自の流行り方をしました。そして日本は演歌が根っこにあるからか、どちらかと言うと後ろ向きと言うか、暗めと言うかマイナーな“フォーク・ソング”が流行りました。しかしこれはこれで日本独自の音楽文化でもあると言えるのでしょう。団塊の世代と言われる人たちを中心に一定の支持をいまだ保っています。
 自分で作曲し自分で歌うと言う“シンガー・ソングライター”が出てきたのもこの辺りからです。プレスリーにしても美空ひばりにしても、作曲家と作詞家が作ったものを歌っていましたから、レコード会社から貰った仕事だった訳です。それがビートルズ辺りからは自分で作ったものを会社に売り込んで歌うようになりました。当然作者の思いやメッセージが色濃く反映されたものが多くなり、時代の流れを左右するような曲までが生み出されました。ジョン・レノンの“イマジン”やS&Gの“明日にかける橋”などはそんな曲の一つです。
 ドラゴンボールが叶えてくれる願いが私のところに回ってきたら、迷わずに“シンガー・ソングライター”と言うつもりです。

私の興味は うたたね ね。