遊ぶ

 「遊びやせんとて 生れけむ・・」などと昔の人は言ってますが、ヒトはいろんな意味で遊びます。“遊びに行く”、この言葉は子供でなくとも心が騒ぐようです。これが“仕事に行く”とか“病院に行く”とかなると気は滅入ってしまい、家から出たくなくなるだけでなく、人によっては頭が痛くなったり下痢したりするケースもあるのです。やはりヒトと遊びは切っても切れないご縁で結ばれているのでしょう。
 一口に遊びと言ってもその種類は様々で、“おねーちゃんあそヴぉう”などと言うと張り倒されることもありますし、“遊ばれた又は弄ばれた”などと言えば淫靡な感じもします。物を作る過程で言う“遊び”は必要な場合とそうでない場合がありますが、木で家を作るときにはこの遊びを計算に入れないと、完成した家がお釈迦になってしまうことがあると言います。木材は乾燥すると縮み、接合部に重大な亀裂を作ってしまうからです。こんな場合の“遊び”は、しないと張り倒される羽目になります。しかし今作られている木造の家はボルトとナット、T字金具で組む安普請が殆どですからそのような心配は有りません。
私のような素人が木を使って物を作る時は、接合部が遊びだらけのやっつけ仕事ですので、木が縮んでもまだガタガタしたりするのが常です。だから“遊び”を計算になど入れません。なまじそんなことをするとガタガタのズルズルで収拾がつかなくなる代物になります。
 動物の中ではヒトをはじめ、高等哺乳類と言われる種族は何かしら遊ぶようです。シャチが捕食以外にアザラシの子供を殺し、ボールのように鼻先でつついているのをテレビで見たことがありますが、あれも遊びだそうです。どうも知能の発達と残酷性はリンクしているようです。うちのにゃん子さんもよく遊びますが、もともと働く必要のない方ですから、食べることと寝ること以外はすべて遊びとも言え、大変羨ましく思います。けれどそれを見ている私は喜んでいる訳ですから、あの方も食料にありつくため努力しているその表れでもあるかも知れません。そう思うと涙なしでは見られません(今風に言うと“見れません”)。まあ あの種族の方に限りそんなことはないでしょうが。


これは仕事です。