何のために、誰に向けて

 式部日記や更級日記に代表される日記文学、少し時代が下がる方丈記徒然草などは誰に読ませるために書かれたのだろうと考えたりしてみた。出版業界など無い時代に、個人的に書いたものが市中に出回ることなど想定出来る筈は無く、誰に読ませるでもなく、ただ自分の感じたこと、思うことを文字にして残しておきたかった、そんな気持であったのだろうか。
 現代ではエッセイ、随筆とも言える分野だからタレントも杓子(杓子がどうものを書くのか具体的に示せ、なんて言われそうだけど言葉の彩、あや、ね)も書く。著名な作家のものも含め、出版して売ることが大前提であるからおのずと筆圧の違いが文章に表れると思いながら読んでみるが、そのあたりの違いがよく分からない。中にはこんなんでよく売れると思う駄本も近頃(エッセイなんて言う物を誰でも書くようになったのは、この3、40年ぐらいで比較的新しい)は出ているので、そう言うのは別にすると違いが分からない。
 ブログなんかは読んでもらうことを前提に書いているけど、読まれるかどうかは別問題で、この辺りが本の出版とは異なる。独り言をたまたま文字にして垂れ流す、日記とも少し違うジャンルで、当たり前のことだけどネットが無ければ成立しない書き物と言える。或る意味では昔の日記物に近いかもしれない。不思議な作業では有る。

ルナとヴィーナスのランデブー 5/16のpm7:00頃