地を選んで踏み

 慎重に事を運び節度を守りいろいろ気を配っても災難に会う。
司馬遷史記列伝の中で述懐している件です。ネットの検索エンジンで「地を選んで・・・」とやるとぞろぞろ出てきます。よほど災難に会っている慎重居士が多いのでしょうか。今この言葉の意味をかみしめている人の代表はあの方でしょう。身内にもらった小遣いの額が多いだけで痛くもない腹を探られ、本人の思惑は次々とあらぬ方向へと向かい、慎重に言葉を選び発言しても上げ足を取られる。政治家になったことをさぞかし悔やんでいらっしゃるとお察しいたします。
 何事かを為すことに意義を見出すのはヒトの特性かと思われますが、本人の思惑とは関係なしに後であれこれと判断され評価される或いはされないことが有ります。つまりご本人がいくら意義を見出したところで、社会的にみれば何の意味を持たない、俗に言えば糞の役にも立たないことは数多くあり、全く見向きもされない、鼻もひっかけられないことのほうがこの世には多く、良いにつけ悪いにつけ注目されるのはまだ恵まれていると言えます。
 これらを踏まえ猫の生活態度を考察すると、見習うべき様々な事柄に私は深く思いを致すのであります。気儘に生き後先のことなど考えない。猫は今が現在が全てです。考えたところでどうせロクな結果は期待できそうに無い。司馬先生だって「本当に参った」と言っているくらいなのです。何事も気楽にやれば結果なんぞどうでもよくなる、猫は結果など期待していません。猫に(うちの場合はみこたんですが)教えを請う時です。しかし残念なことにヒトは猫ほど美しくない。この一点でヒトは猫に遠く及ばない、私も本当に参ったのです。

見返り美猫