「森の生活」

 「徒然草」を拾い読みしていたら、急に「森の生活」を読みたくなった。本箱から引っ張り出すと、文庫サイズなので字が小さく本も古いので、単行本の中古を買うことにした。宝島社のもので真島義博訳版だった。文庫本は岩波の1979年版だから翻訳の調子も宝島社のものとは大分違う。単行本は字も大きいし紙も白いから読みやすい。こんなところにも年齢を感じる。
 最初に「森の生活」を読んだのは20歳の後半だったか、この手の本を読む年齢としてはかなり奥手と言えるかもしれない。この本は私のその後に大分影響を与えたと思う。もちろん「徒然草」や「方丈記」も読んでいたから“目から鱗”ということはなかったけど、森と湖のロケーションと自分で家を作り暮らす生活にあこがれを感じた。今から思えば自分の足元を見ない、現実逃避のような夢想だったとも言える。それでもかなり本気になって土地を探したり、丸太づくりの家の本を漁ったり、使いもしないチェーンソーを買ったりして、何年かは浮ついていたのだった。

 自然の中で、自然に沿った暮らしをすることは誰しもが一度は憧れるテーマと言える。都市部で暮らすものにとっては、そういった生活は未知の部分であり一層興味を掻き立てられる。便利で快適な暮らしを追求することの一方で、電気や機械に頼らない、シンプルで簡素な生活にも限りない魅力を感じていた。「森の生活」はそういった気分にぴったりとあった読み物だった。あれから半世紀近く経った今になってこの本を読み返してみると、やはりある程度の違和感を思うと同時に、「徒然草」や「方丈記」にはそれがないことに驚く。またソロー自身がなぜ2年余りでウォールデンを引き払ったのかに思いが行く。その辺りのことは「森の生活」の最終章にも詳しくは書かれていない。“ぼくは森に入ったのと同じように、それなりの理由があって森をあとにした。たぶん、ぼくには生きるべき人生がもっとあって、それ以上の時間を森で過ごすことが出来なかった・・・”と言ったことが書かれているだけだ。しかしそれはそれでわかるような気もする。結局ソローは街に戻り45歳の短い生涯を閉じる。いまグーグル・アースでウォールデンやソローが暮らした森を見ると、周辺を幹線道路が走り、すぐ近くまでコンコードの町は来ている。それでも、ソローが暮らした周辺の森は残され湖も水をたたえて居る。けれどもその森の小ささがある意味では寂しく思える。

 私はもう森では生活できないだろう。体力もないし気力もおぼつかない。ソローよりも25年も生きながらえているのだから、それも仕方ないことではあるのだろう。私の森の家も20年前までは周りを木に囲まれていた。今では両隣に家が建ち昔日の面影はない。残念ではあるが年齢相応の状況変化と言えるかも知れない。

お久しぶりです。