呆れた感覚

森元首相が札幌での講演で、新国立競技場は五輪遺産として未来に引き継ぐものなどと言っていたそうですが、まったくあの人の時代感覚はずれにずれているというか、今のこの国の実情を全く理解していないようです。1964年のオリンピックの夢をそのまま追いかけている太平楽で、遺産は遺産でも“負の遺産”としかならない厄介者をあくまで造ろうとするその無見識は、安倍、下村との“オリンピック3馬鹿トリオ”というにふさわしい馬鹿っぷりです。
人口減少、低成長、巨額の財政赤字という状況の中で、なぜ3000億円(屋根工事を入れると3000億円を超えるとも言われる)ものお金をかけた競技場が必要なのか、オリンピック招致の目玉だから変更できないなどの言い草も納得出ません。誰のための何のためのオリンピックなのか、そうでなくとも莫大な赤字を抱えた国の財政の止めともなりかねない無駄な支出を、なぜ強引に進めなくてはならないのか理解できません。
低予算で出来る範囲内での競技場であれば期間的にも十分間に合うし、その後のランニングコストも小さくて負担も少なくなります。最近のオリンピックは“低コスト・コンパクト”がキーワードであったはずです。“日本の実力を世界に示す”とか“経済成長の呼び水”などと言う時代錯誤の発想による計画への固執は、まさに日本経済の墓穴を掘るものと言わざるを得ません。
今週は国会周辺が賑わいそうです。どんどん押しかけて何としても何とかしたいという、実にこの何かわからぬ話ではありますが、とにかく出来ることはしようと思っているのです。

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