気持ち悪い

 「ら抜き」言葉や語尾上がり言葉はすでに一般化してしまい、“もうどうでもいいや”といった感じがしています。ところがまたぞろ昨年来より猛威をふるっている座りの悪い言葉があり、それは「絆」「サムライ」「なでしこ」で、取ってつけたような、従ってすぐ忘れられる絆や、百姓、町民が9割だったこの国のどこが侍なのか、また、まるで撫子とは似ても似つかぬ面々だったりで、これでは詐称と言われて仕方ないほどの混乱ぶりと思ってしまいます。しかしまあ、私はひねくれ者で天の邪鬼ですからこんなふうに感じるのかもしれません。心根の優しい、信号をよく守る、踏切で必ず一時停止を怠らない国民の皆さんは、きっと本気で絆は大切であり、サムライ日本はこの国の伝統であり、なでしこは可憐で清楚な集団とお考えになっていられるのでしょう。
 ここに挙げた三つの言葉は、言葉自体が気持ち悪い訳ではありませんが、その使われ方が気持ち悪いのです。この使われ方で言えば、“チャレンジ”とか、“アーティスト”とかもいやらしく、とくに“アーティスト”はとても芸術家とは言えないような方がたもそのように詐称なさっているようです。また、自分で使っておいてなんですが、“とか”も変な言葉であること認めざるを得ません。出来れば使いたくない言葉の一つですが、悲しいかな頻繁に使ってしまいます。「御社」「何々させて頂きます」も嫌な言葉で、「お名前頂戴出来ますか」なども「いえ差し上げられません」などと混ぜっ返したくなります。「なにげに」という言葉も何とも座りが悪く、「すね毛に」「胸毛に」といった「毛」の種類を連想します。この「なにげに」は「なにげなく」とはややニュアンスが違うらしく、どうもよく分からない言葉のひとつです。「やばっ」や「うまっ」は力を感じさせる用法であり、この辺りまでは許せる範囲と言えるでしょう。
 前にも言いましたが、言葉などは変わるものですし、その時々の使い方や新語がこなれてゆく中で定着します。しかし詐称や誤用、意味のない丁寧語などは耳にしたくないと思うのです。
   
   気持ち良い