千里鶯鳴きて

 漢詩は中学、高校を通じて馴染んでいたもので、和漢混合体の読み下し文のリズムには一時期ハマりました。と言っても戦前の学生のように漢文を白文で読むほどのレベルではなかったのですが、それでも未だに覚えているものもいくつかあります。
 この時期になると表題に挙げた「千里鶯啼きて 緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風 南朝四百八十寺 多少の楼台煙雨の中」という杜牧の“江南の春”を思い出します。オーム真理教が話題になっていた頃、教祖が「水を渡る・・」といったようなことを嘯いていましたが、あれも「水を渡りまた水を渡る 花を看また花を看る・・」とつづく“胡隠君を尋ぬ”を連想してしまったことを覚えています。三月の頃には「君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒 ・・」で有名な友を送る詩“元二の安西に使ひするを送る”が浮かびます。桜が咲けば「花開いて 風雨多し 人生別離足る」と来て、これなどは井伏 鱒二の訳「ハナニアラシノタトエモアルゾ サヨナラダケガジンセイサ」が余りに有名でこちらから本詩を知りました。「秋の日のビオロンのため息の・・・」や「さんまさんま さんま苦いかしょっぱいか・・」も季節を感じますが、漢詩の和漢混合文のあのリズムの透きっとした透明感は、広々した清涼な風景を目に浮かびあがらせてくれます。
 などと書くと、いかにも多くの詩を読み教養豊かに聞こえますが、今ひけらかしたところの外はほとんど知らないので、露天商同様の広げてあるだけ、ストックなしのペラペラの付け焼刃です。いつもの知ったかぶりですが、バンカラもたまにはいいものです。

今年もつつじが咲きました。