家はヒトを映す

 仕事で家を見ることがかなりの期間あり、一戸建て住宅や集合住宅、店舗、事務所ビルなどを中心に内部や外部をかなり細かく見てきた。おそらく棟数にすると1000棟は下らないと思う。その経験から、建物は建て主の思想を反映すると思うようになった。建てられた建築物を見れば建てたヒトもしくは法人がある程度スケッチできる。自分で造った訳では無い建売住宅を買ったヒトでも、その住宅を見れば或る程度のスケッチを描ける。もちろん建売住宅を造った業者はみえみえで正体が読める。着ているものを見ればある程度人物が判断できるのに似ている。無論外れたりもするのだが当たらずとも遠からず程度の見当はつく。合理的な考えの持ち主は合理的な家を造り、目立ちたい性格の施主は目立つ建物を造る。表参道や青山に在るビルは自己主張がそのまま建物になっていることが多い。
 1900年代初頭からドイツを中心に起こったバウハウスと言うデザインの流れは、建築だけでなく様々な分野に影響をもたらしたが、なかでも中心となった建築デザインは、自己主張を極力抑え機能美を優先させたシンプルな意匠で、なおかつ安価なものを追求した。その後の、例えば日本の公団住宅にまでその影響を見ることが出来るように、世界の建築界に大きな足跡を残した。現在のように目立つデザインを纏った建物が多い中、バウハウスの建築物はかえって新鮮に感じられ、洗練された美しさで私達に迫ってくる。
 そうなんですよ、今では天下りの総本山、建設官僚の終の棲家のような言われ方をされる「UR」もその昔、新しい街づくりに燃え新進気鋭の建築家たちに仕事を依頼したり、自らも設計したりしていたんですよ、信じられないけど。いま「UR」が造った最近の住宅を見ると、開発業者が儲け主義の中で造られた“マンション”の亜流ばかりで、公団設立当初の意気込みは全く感じられない、困ったものです。本来から言えば、住宅は国の福祉にかかわる分野とも言え、巣作りは個人の責任とばかりに持ち家政策を歴代の政府が推し進め、行政が都市計画から3歩も4歩も引いてしまった結果、手のつけようの無いほどまでに無政府化してしまった都市が出来あがったのです。地震が来たって逃げ場がない、道路は狭いし道は入り組んでいる。電柱は所構わず立っているし住宅は密集している。グーグルアースで見ると日本の都市がどれだけグチャグチャかよく分かります。よくこんな所に住んでいられる、そう思われても仕方ないほどなのです。都市もそこに住む人たちの鏡なのです。
 そこで提案なのだが、家やビルを造る時は施主の顔を玄関入口に大きく表示することにしたらどうだろう。そうすればへんてこな建物や安普請のバラックを建てることにいささかの躊躇が生まれるだろう。いくらなんでも自分の顔に泥を塗る様な建築物は建てないと思う。しかし汚い顔が町中にひしめく様を想像すると、地震でも火事でも何でもいいから早く来て、町中焼け野原にして欲しいと切実に思うかもしれず、我ながらあまり利口な策とは言えないと思考せざるを得ないとも思える(なんと言う回りくどい言い回し・・これもクドイか)。甚だ当惑するのである。

マイハウス