告白

1633年6月22日、ガリレオ・ガリレイ(69歳)はキリスト教会の異端審問所の裁判官たちの前で、「太陽は宇宙の中心にあり不動だという誤った意見を完全にすてる・・・」ことを強要され誓わされたのでした。それは告白という形でなされて、以後フィレンツエ近くの別荘に軟禁状態に置かれたと言います。この「告白」の後に「それでも地球は動いている」と言った逸話が残っていますが、それは実話ではないとガモフは書いています。
 私も告白しますが、やっとの思いでガモフコレクションは4巻目にたどり着き、ガリレオの告白を涙ながら(でもないか)に読んでいます。さぞや無念であったでしょうねえ。“神も仏もあるもんかい”とはなかなか言えないご時世にあって、自分が研究し追求してきた心理を、まったくの外部の力によって捻じ曲げられる、おまけにそれを公の場で表明させられる苦痛は、私のような盆暗にも想像できます。ガリレオはそれから9年後、視力も失い厭世的となって亡くなったそうです。
 ガモフ4巻目は「物理学の探検」という表題ですから、物理学一般と当然あの“原子力”も扱われます。オッペンハイマーとかアインシュタインといったこの道の先駆者たちは、自分たちが開けた扉の先にある事態をどのように慮ったのでしょう。反省の「告白」も残されていますが、科学者としての“欲”を制御できなかった、というのが実態ではないのでしょうか。この科学者の“欲”に目を付けた防衛省は、軍学共同研究への積極参加を各大学に呼びかけています。もちろん研究費という餌をちらつかせての誘いで、少なくない大学がこの呼びかけに応じようとしています。日本学術会議をはじめこの国の科学者たちは、「戦争には二度と協力しない」ことを合言葉に軍学共同研究に対して厳しい自己規制を行ってきました。“科学者よ、お前もか”と嘆息する時代が来ないことを願うばかりです。
 「告白」すれば許されるのはガリレオに不誠実を強いた教会内だけです。


私は告白などしない。何故なら誤謬はないから。