記憶

 ものには覚えていて良いこととそうでないことがある。いや、覚えているとロクなことにならないことだってある。“コノヤロー 覚えて居やがれ”などというのは逃げてゆく者の決まり文句だが、こんなのは覚えていてもロクなことがない。しかし楽しい思い出だってその時限りのものだし、それに浸ればいつも楽しくなれる訳でもない。サバイバルには記憶が有効かつ不可欠なものだろうから、ヒトをはじめとする動物の多くはこの記憶の発達を促す成長戦略をとってきた。中でもヒトはこの分野で抜きんでた成長を遂げ、覚えなくてよいことまで忘れられないという、過剰装備を身に付けたへんてこな生き物となっている。
 夢に魘されて目が覚めるということは何度か経験したことがあるが、主に子供のころの体験で、どんな夢だったか今となっては覚えていない。子供でないのに魘されて目が覚めるとすれば、それはよほどの悪事に関わっているか、不眠症と言われるものであろう。前者の場合は過去または現在の記憶が脳内で寝ている間に蠢き、映像となって現れ、それにびっくりして目が覚める、というプロセスであろうと思われる。このびっくりして目が覚めるのは必ずしも悪い夢ばかりでなく、まあなんと言うかこの、よい夢もある訳で、このところそのような夢はとんと御無沙汰なので、どんな夢であったかさえ思い出すこともままならない状態であるが、とにかくそんな夢も記憶によって映像化される。この場合単なる記憶のみにとどまらず、願望とか欲望とかそんな物まで影響するので記憶だけでは説明に窮することもある。
 夢とは関係なく、突然過去の記憶がよみがえる時がある。大体がロクでもない、思い出したくないことの記憶が多い。私の場合良い思い出、記憶といったものがこうした形でのフラッシュバックとなることはまず無い。決まってロクでもないものばかりで、穴があれば入ってしまいたいし、つい“くっそー”と声に出してしまう時もある。いずれ穴には入る時が来るので、そうなればこのような焦燥感とはおさらば出来るのだろう。記憶なんて不便なものだ。

記憶の影