余計なことを言う

 孔子さんは“不在其位 不謀其政”などと言って、責任の無いものが何を言っても意味が無いとしています。一面真理ですがそれを突き詰めると批判も提案も無意味なこととなり、私たち無位無官のものは存在意義さえ否定されてしまいます。孔子さんもそこまでは言ってないようですが、やはり紀元前の方なので現在の事情を把握したのちの発言とは言い難い側面を感じます。
 井戸端談義とかお茶の間政談、居酒屋何とかなど、私たちが勝手に御託を言い放つことが世論としてそれなりの影響力を持つ場合が有ります。組織されたものではないので具体的な行動につながると言った積極性には欠けますが、じんわりと広がりマスコミ辺りに取り上げられるとかなりの力を発揮します。今はこのネットという媒体が有り、これで個人が全世界に向けて情報を発信することも可能です。もちろん可能性ですから、発信したからと言って受け手がいなければ闇の中に消えていくだけですし、英語で発信しなければ英語圏の人たちには伝わりません。それでもその「可能性」にシビレ、具体に結実することの夢想に酔うのです。泥酔しすぎて何を言っているのか分からない人も居ます。孔子さんには怒られそうですが、「その位に無くて・・」も余計なことを言うのはかなり面白いものなのです。
 その位に有る人が無責任のものを言う時が有ります。公約と言う形で流布します。今はマニフェストと言うらしいですが、横文字になったからか、やや責任を問われるようです。しかしこれも選ぶほうの良識が問われていると言ったほうが良く、どんな公約でもマニフェストでも実現させるかどうかはその受け手の力量によるのでしょう。今度の選挙でそんなことを改めて感じたのでした。

特にコメントはなく、この手のキュートさにご注目あれ