二十四日目

 備忘録という書き物がありますが、メモや記録は以外と重宝するもので、何でもかんでも覚えていられないから走り書きでも残しておくとそれを見て記憶がよみがえるという、私のような記憶力の弱い者には大変有効なアイテムと思っています。知人でメモは一切取らない人がいました。聞けば、メモを取るとそれに頼ろうとして記憶力が低下する、だからそれを防ぐためにもメモは取らないと言うことでした。そういう人はもともと記憶力が良いのでしょう。新聞記者だった人は、人の名前は一度で覚えると豪語していました。私などは一度どころか何度聞いても思い出せないことも多く、名札がないと冷や汗もののことが日常茶飯事です。顔は一度見たら忘れることがほとんど無いのです。でも名前は駄目ですねえ。

 コンピューターはあることを一度記憶させておけば記録を消さない限りいつまでも残ります。大西巨人の本に「神聖喜劇」というのがあって、一度記憶したことは決して忘れない人が主人公で、私などには羨ましい限り能力と思えるのですが、その能力に悩まされるのです。確かに何でもかんでも覚えていることは便利なようでかなりの負担、苦痛を伴うことでもあるようなのです。例によって本のあらすじや結末は忘れましたが、完ぺきな記憶力があれば幸せとは限らないと言うことだけが記憶に残っています。もしコンピューターに意識があったらかなりキツイことになっているだろうと、ちょっとSFみたいなことを思ったりします。人工知能「HAL」だってもう少し寛容になれたかも知れません。アーサー・シー・クラークが「神聖喜劇」を読んでいたらもう少し違った「HAL」を創っていたかもと思います。
 とは言うものの、私としてはもう少し記憶力が欲しいと願わずには居られません。なにしろ朝令暮改ならぬ”朝覚暮忘”ですから。うちの同居にゃんこの方が物覚えが良いのです、いえホント。