贈り物

 「人にはふさわしき贈り物を」というどこかの作家が言ったフレーズを昔聞いたことがある。ところが他人に物を贈るというのは難しい。難しいからつい避けてしまう。すると時機を失してさらに贈りづらくなる。まずふさわしい贈り物がなかなか難しいし、相手の趣味や嗜好に合わない贈り物はかえって贈らない方が良いとさえ思える。経験から言えば私の贈り物はそのほとんどが失敗だったと思っている。贈った相手に確かめた訳ではないが、きっと喜ばれてはいないだろう。

 「意外な時に、意外な贈り物」というのは映画「小説家を見つけたら」のなかで、ショーン・コネリー扮する小説家が主人公に言ったセリフだった。これも難しい。確かにもらう方とっては予想外の贈り物は驚きでもあり嬉しいだろう。しかし状況判断を誤ると場違いで間抜けな結果となる。“ふ、ふ、ふ、そちも悪よのう・・・”などという状況では必ず饅頭の下には小判が入っている訳で、意外性を狙って “虎屋の羊羹”それだけではNGなのだ。

 「もらう身になって・・・」というのも贈り物を選ぶセオリーの一つだが、自分がもらってうれしいものを他人に贈るというのも、ある意味では趣味の押し付けのような気もしてしまうから二の足を踏む。お中元やお歳暮はこのセオリーが盛んにもてはやされるが、盆も暮れも無関係な習慣を過ごしてきたのでこの点での習熟度も低い。

 要するに、他人に物をやるのが嫌なのだろう。贈ったところで大して喜ばれない。にも拘らずに散財はする。吝嗇なのかも知れない。贈る相手の喜ぶ顔を見たい気はあるのだが、あれこれ考えると面倒で贈り物を選ぶことが出来なくなってしまう。贈る動機が何だったのか、お礼なのか、好意の表現なのか、下心なのか、その辺りも曖昧となって来る。しかし何と言っても過去に贈った物への後悔が大きく、いっそ贈らずに済むならそれにこしたことはない、と結論づけている。だからいつまで経っても贈り物上手にはならない。それにもう贈る相手もほとんど居なくなってきた。