「人には器というものがある」なんて言う器ではなく、食器のこと。
一時期これに凝りましたね。まあ凝るとは言っても“金に糸目はつけない”などと言う大層なものではなく、小遣いをためて細々と買い求めるというささやかな凝り方ですが。
人並みに「伊万里」に魅せられて、なかでも染付に惹かれた。その頃はまだ安かった蕎麦猪口や豆皿、“ゲジ”と呼ばれる蛸唐草の皿などを買い集めた。傷物や“直し”がされているものは今から思えばずいぶんと安かった。けれども本など読むと、蕎麦猪口を一山で、あるいは小皿などはまとめて買う時代もあったようだから、値段を言うと切りがない。旅行に出かけた時などはよく古道具屋に立ち寄り、ガラクタを漁ることが多かった。街道沿いの古道具屋で伊万里の茶碗を見つけ、値段を聞くと“蓋があれば千円、蓋なし5百円”と言うから、蓋なしの伊万里茶碗を5個まとめ買いをしたこともあった。あの時は“わあ大儲け”と喜んだ。
古い器だけでなく新しいものもいくつか買ったが、良いものや欲しいものは高価であり、その多くは買えなかった。“土物”といわれる益子などにも惹かれた。
瀬戸物市や陶器市にはあまり出かけない。人混みが鬱陶しいし、値段も決して安くない。
買ってきた器はもちろん使う。そんな高価なものではないから普段使いだ。買った時には安かったものが今ではかなりの値段となっている伊万里なども、もちろん使う。青山辺りで骨董屋に並べられている伊万里などは、恐ろしくて使えたものではないから飾っておくだけとなるのだろう。見て楽しむのも悪くはないですね、器の楽しみ方はいろいろだから。
器と料理は切っても切れない関係だけれど、私は料理が得意というほどでもない。だから、ごく普通の食材をごく普通に料理して、器もごく普通に使う。伊万里だからとかウェッジウッドだからとかに拘らない。ロイヤルコペンハーゲンのクリスマスプレートも普段使いの皿となる。
近頃では器を買うことも少なくなった。つい最近リサイクルショップで「備前」の“火だすき”の皿が出ていたので買ったが、たまにふらふらと魅せられることがあるようだ。フキノトウのてんぷらを載せたが、やはり少し気取った雰囲気の「備前」はよいと思った。


伊眠里