速い、安いは有難いのだけれど・・・

ファストフードのうたい文句のような散髪屋がこのところあちこちに出来ています。“シャンプー・カット、1000円”なんてところもあり、このところ私はその手の散髪で済ませています。
 以前だとだいたい1時間ぐらいでカットからシャンプー、髭剃りまでして、お値段3000円前後というのが相場でした。お喋りしたり情報(噂話)を仕入れたりする町内の社交場、といった風情がある散髪屋も数多かったのでは思います。私もそんな“床屋”に長くお世話になっていたのですが、店主の高齢化で閉店となってしまったのを機会に、例の“速い、安い”に切り替えたのです。若いおねーさんをたくさん揃えた“バーバーショップ”もあったのですが、下心を見透かされているのと料金でスルーしました。
 しかし、考えてみると安い料金を設定するには数多くの頭を刈らなければならない訳で、働く人にとっては労働荷重となるし、きっと賃金もぎりぎり値切られているはずと思うのです。すでに半年ばかりそのような散髪店にご厄介となっていますが、毎回店員が変わっていて、きっとチェーン店だからあちこちの店を回るからとも考えられますが、入れ替わりも激しいのではないかと思ったりしています。店員は年齢も若く、短時間で終わるので余計なおしゃべりが無いのは良いのですが、“床屋”というイメージとはかけ離れた散髪店であることは確かです。
 この国は働く人を大切にしなくなったと、大分前から思うようになっているのですが、パートや派遣といった非正規雇用労働市場を席巻するようになり、それにつれて貧困が社会問題化している現在の状況は、この国の“売り”であった安全、安心、安定の“三安”を根底から覆すことになると危惧しています。“三安”だけでなく労働の質の低下も当然進んでいるはずで、勤勉と技術も危機に瀕している思わざるを得ません。
 労働は正当に評価されてしかるべきであり、労働の果実たる製品はそれにふさわしい価格となることが好ましいと思います。何でも安けりゃあいいってもんでもないでしょう・・と、1000円の散髪料金を払いながら考えたのでした。

その通り